荻原次晴、兄・健司と比較され続けた苦悩の日々!しくじり先生
2017年6月11日放送の『しくじり先生 俺みたいになるな!! 』の先生は、スキーノルディック複合の元オリンピック選手・荻原次晴さんです。
ノルディック複合とは、スキージャンプとクロスカントリースキーを組み合わせた競技で、瞬発力と持久力の両方が必要とされます。
1990年代、日本はスキージャンプが強く、冬になるとテレビで報道されて注目を集めていましたが、1992年、荻原健司さんがワールドカップで日本人初の個人総合優勝を果たしたことにより、それまで全く知られていなかったノルディック複合の存在が知られるようになりました。
そのため、当時を知っている日本人にとって、「ノルディック複合 = 荻原健司」なのです。
そして、荻原健司さんには双子の弟である次晴さんがいて、1995年3月にカナダ・サンダーベイで行われた世界選手権の団体戦では、兄弟で参加し、優勝を果たしました。
しかし、双子であるにもかかわらず、弟は優秀な兄に遠く及ばない状況で、比較され、間違われ、苦悩の日々を過ごしたのです。
『しくじり先生』で、その当時の苦悩の日々と努力の大切さについて、号泣しながら語りました。
荻原次晴ってどんな人?
荻原次晴さんのプロフィールは、次のとおりです。
【名前】 荻原次晴(おぎわらつぎはる)
【生年月日】 1969年12月20日
【出身地】 群馬県吾妻郡草津町
【血液型】 O型
【身長】 170cm
【高校】 群馬県立長野原高等学校卒業
【最終学歴】 早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業
【事務所】 スポーツビズ
名前を「荻原健司」に変えれば、兄のプロフィールになります。
弟・荻原次晴さんは小学生の頃、双子の兄・健司さんと共に器械体操を習っていましたが、小学5年生から地元のスポーツ少年団でスキージャンプをするようになりました。
そして、健司さんも翌シーズンからスキージャンプを始めます。
さらに、中学時代に二人揃ってノルディック複合に転向すると、その才能が開花し、中学・高校・大学・社会人で活躍し、日本代表にもなりました。
荻原次晴は、1998年に引退し、現在はスポーツキャスターとして活躍しています。
一方、兄の健司さんは、2002年に引退し、参議院議員を1期務めた後、現在は北野建設スキー部部長をしています。
荻原次晴、双子にもかかわらず兄に完敗で苦悩の日々
荻原次晴さんの方が先に始めたスキーですが、より才能が開花したのは、兄・健司さんでした。
それは、成績を比べると明らかです。
【ワールドカップ】 優勝19回(世界歴代2位)、2位13回 3位6回、1993~1995年種目別年間優勝
【オリンピック・個人最高位】 1994年リレハンメルと1998年長野で4位
【オリンピック・団体最高位】 1992年アルベールビルと1994年リレハンメルで金メダル
【世界選手権・個人通算】 優勝2回、3位1回
【世界選手権・団体通算】 優勝2回
【ワールドカップ】 2位2回
【オリンピック・個人最高位】 1998年長野で6位
【オリンピック・団体最高位】 1998年長野で5位
【世界選手権・個人通算】 10位
【世界選手権・団体通算】 優勝1回
一卵性双生児で、同じ性別、同じ遺伝子にもかかわらず、このような差が生まれたのは、外見や生い立ちが同じでも、全く性格が異なっていたからです。
兄・荻原健司さんは、天才肌に加え努力家でもあり、日々練習に励み続けましたが、弟・荻原次晴さんは、そんな兄の姿勢を理解できませんでした。
その結果、待っていたのは、大きな実力差と結果です。
そして、兄と比較されたり、兄に間違われたり、苦悩を味わうことになります。
荻原次晴さんが、苦悩から逃れるために選んだ道が努力であり、1995年に日本代表として金メダルの獲得に貢献しました。
世間には、兄弟姉妹で比較され、悔しい思いを経験したことがある人は多いでしょう。
荻原次晴さんは、その悔しさをバネに結果を残したのです。
その思いが、『しくじり先生』での号泣につながっています。
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