瀬古利彦、オリンピック・マラソン惨敗の真相を告白!しくじり先生
2017年3月13日放送の「しくじり先生 俺みたいになるな!! 」の先生は、元マラソンランナーの瀬古利彦さんです。
日本の女子マラソンは、有森裕子さん(バルセロナ銀・アトランタ銅)、高橋尚子さん(シドニー金)、野口みずきさん(アテネ金)というように、オリンピックでメダルを獲得する選手がたまに現れますが、男子マラソンはその結果に遠く及びません。
そんな中、瀬古利彦さんは、宗茂・宗猛兄弟らと共に昭和後期の男子マラソン界を牽引し、フルマラソンの国際大会で15戦10勝の記録を残しました。
マラソンは、1位にならなければ1勝とはならないので、これはすごい記録です。
しかし、オリンピックでの活躍や金メダルの獲得を期待されながら、結果は惨敗に終わっています。
瀬古利彦さんが、オリンピックで結果を残せなかった真相を「しくじり先生」で告白しました。
瀬古利彦ってどんな人?
瀬古利彦さんのプロフィールは、次のとおりです。
【名前】 瀬古利彦(せことしひこ)
【生年月日】 1956年7月15日
【出身地】 三重県桑名市
【血液型】 O型
【身長】 170cm
【体重】 62kg
【高校】 三重県立四日市工業高等学校卒業
【最終学歴】 早稲田大学教育学部卒業
【現在の職業】 DeNAランニングクラブ総監督
瀬古利彦さんは、中学時代、野球の弱小チームに所属しているものの個人的には注目されている投手で、強豪校からも誘いがあり、甲子園を目指すつもりでいました。
しかし、中学1年生の時のマラソン大会で優勝したことで、運命が変わります。
陸上部から頼まれて出場した市の大会や県大会の中距離走で、見事に優勝したのです。
野球はどちらかと言えば短距離型のスポーツですが、瀬古利彦さんは野球の練習のみで中距離走の才能を開花させました。
そして、陸上の魅力にハマった瀬古利彦さんは、三重県立四日市工業高等学校に進学してさらに中距離走のエキスパートになると、卒業時には多くの大学から声が掛かるようになります。
ここで、進学は中央大学に決まりかけていましたが、それを断って早稲田大学を一般入試で受験した結果、留年することに。
それでも、南カリフォルニア大学に在籍しながら、翌年、早稲田大学教育学部に入学すると、中村清監督からマラソンへの転向を勧められ、マラソンランナー瀬古利彦が誕生しました。
大学時代からマラソンで上位の結果を残し、箱根駅伝では4年連続で2区を走り、3、4年生の時には区間新を記録しています。
社会人になってからもその勢いは止まることなく、国際大会15戦10勝の記録を作りましたが、ロスオリンピック14位、ソウルオリンピック9位で惨敗しました。
引退後は、マラソンの解説や指導者として活躍しており、現在は、DeNAランニングクラブの総監督を務めています。
瀬古利彦がオリンピックで結果を残せなかったしくじりとは?
瀬古利彦さんの現役時代の成績は、次のように素晴らしいです。
1978年 福岡国際マラソン 優勝
1979年 福岡国際マラソン 優勝
1980年 福岡国際マラソン 優勝
1981年 ボストンマラソン 優勝
1983年 東京国際マラソン 優勝
1983年 福岡国際マラソン 優勝
1984年 ロサンゼルスオリンピック・マラソン 14位
1986年 ロンドンマラソン 優勝
1986年 シカゴマラソン 優勝
1987年 ボストンマラソン 優勝
1988年 びわ湖毎日マラソン 優勝
1988年 ソウルオリンピック・マラソン 9位
15戦10勝なのに、オリンピックだけは結果を残せませんでした。
そして、その原因として語ったのは、次のとおりです。
- ストレス発散のため、金髪のガールフレンドとディスコに通った
- 日光浴をしていた全裸の女性にみとれて、足をひねって大ケガを負った
- オリンピックの2週間前に、大量の血尿が出た
瀬古利彦さんはマラソンの優れた才能を持っていましたが、誘惑や色欲に負けない強い我慢強さや、ストレスやプレッシャーに耐え得る強い忍耐力がなかったために、オリンピックで惨敗しました。
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