中西麻耶の事故原因とプロフィール!東京パラリンピック・女子走り幅跳び
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2019年12月1日放送のTBS系列『情熱大陸』は、東京パラリンピック・女子走り幅跳び日本代表の中西麻耶(なかにしまや)さんです。
美人で、スタイルも良く、まるでモデルのようなルックスの中西麻耶さんですが、実は右脚がありません。
しかし、長年に渡り義足の陸上選手として活躍しており、健常者が敵わない運動能力を持っているのです。
中西麻耶さんの事故原因と、その絶望の状況から見事に復活を遂げた軌跡に迫ります。
中西麻耶ってどんな人?
中西麻耶さんのプロフィールは、次のとおりです。
【名前】 中西麻耶(なかにしまや)
【生年月日】 1985年6月3日
【出身地】 大分県由布市庄内町
【血液型】 A型
【身長】 158cm
【趣味】 ネイル
【特技】 ソフトテニス、陸上短距離、走り幅跳び
【高校】 明豊高等学校卒業
【職業】 パラリンピアン(短距離、走り幅跳び)
中西麻耶さんは、事故で右足を失いながらも、陸上で才能を発揮しており、北京・ロンドン・リオデジャネイロ・東京と、4大会連続で夏季パラリンピック出場を果たしました。
過去のパラリンピックの結果は、次のとおりです。
- 北京パラリンピック 100m(6位入賞)、200m(4位入賞)
- ロンドンパラリンピック 100m(予選敗退)、走幅跳び(8位)、200m(予選敗退)
- リオデジャネイロパラリンピック 100m(予選敗退)、走幅跳び(4位)
ちなみに、中西麻耶さんの自己ベストは、100m(13秒84)、200m(28秒52 日本記録)、走幅跳び(5m51 日本新記録・アジア記録)となっています。
中西麻耶の事故原因とその後
中西麻耶さんは運動神経バツグンで、高校時代はソフトテニスでインターハイや国民体育大会に出場して活躍していました。
しかし、インターハイ出場常連校だったにもかかわらず、高校3年生のインターハイにおいて団体戦で負けてしまい、周りから責められてしまいます。
これがきっかけでテニスをやめ、高校卒業後は、就職、退職、そして、フリーター生活を続けたのです。
20歳になった頃、「このままではいけない」と思うと、親友の父親が経営する鉄骨塗装会社に就職し、ソフトテニスで2008年の大分国体を目指してトレーニングも開始しました。
ここで悲劇の事故が起こります。
2006年9月、21歳の時に、いつも通り工場で働いていると、崩れてきた5トンの鉄骨に右脚を押しつぶされました。
緊急搬送されて治療を受けた中西麻耶さんは、医師から、「右脚を温存して治療を続けるか?」「切断して義足にするか?」の選択を迫られます。
以前から、「2008年の大分国体で引退する」と決めていたため、少しでも早く復帰できる切断を決め、反対する両親を説得し、手術を受けました。
さらに、入院中にインタネット検索で、陸上選手の義足を作る名人・臼井二美男さんが東京にいることを知り、連絡を取って義足を作ってもらいます。
ここまで頑張ったソフトテニス復帰でしたが、退院していざ義足を付けると、歩くこともままならない状況に絶望し、相手選手に手加減されたことに悔しさを感じたのです。
そんな中西麻耶さんに対し、臼井二美男さんが陸上を勧めると、始めてからからわずか半年で100mと200mの日本記録を樹立します。
その後も活躍し、北京・ロンドン・リオデジャネイロと夏季パラリンピック3大会連続出場を果たし、東京パラリンピックの走り幅跳び日本代表にも内定しました。
この東京パラリンピック出場を決めたジャンプは、5m37cm(ドバイ2019世界パラ陸上競技選手権大会)と驚異的です。
現在、中西麻耶さんは日本記録・アジア記録保持者で、走り幅跳びで6mを目標にしており、東京パラリンピックでも注目選手の1人となっています。
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