激レアさん!50歳でプロ競輪選手、高松美代子のプロフィール
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— 高松美代子 (@345miyoko_) November 17, 2019
2019年11月30日放送のテレビ朝日系列『激レアさんを連れてきた。』のゲストは、史上最年長の50歳でプロ競輪選手になった高松美代子(タカマツミヨコ)さんです。
競輪選手となるためには、狭き門である日本競輪学校に合格し、日々苦しい練習に励み、卒業しなければなりません。
体力勝負ということで、日本競輪学校に通うのは、ほとんどが20歳前後の若者です。
しかし、高松美代子さんは、50歳手前で若者に混ざって日本競輪学校に通い、50歳でプロ競輪選手となりました。
しかも、日本競輪学校に通うきっかけが、毎日、ママチャリで娘を幼稚園に送り迎えしていたら、驚くほど脚力が付いたからなのです。
唯一無二の存在である高松美代子さんの素顔に迫ります。
高松美代子ってどんな人?
高松美代子さんのプロフィールは、次のとおりです。
【名前】 高松美代子(たかまつみよこ)
【生年月日】 1962年5月9日
【出身地】 大阪府生まれ、東京都育ち
【血液型】 A型
【身長】 162cm
【趣味・特技】 自転車
【高校】 ※非公表
【最終学歴】 プール学院短期大学卒業
【事務所】 ガールズケイリンのサポートスタッフ
高松美代子さんは、専業主婦と小学校教員を経て、50歳でプロ競輪選手となりました。
これは、ガールズケイリンの最年長記録です。
高松美代子が50歳でプロ競輪選手となった経緯
小学生の頃の高松美代子さんは、両親の勧めで大阪の名門水泳教室に通いながらも、ドラマ『アテンションプリーズ』の影響でキャビンアテンダントになることを夢見ていました。
結局、努力の甲斐なくCAにはなれませんでしたが、大学卒業後は、母校の職員と水泳指導をしながら小学校の教員免許を取得し、小学校の先生となります。
そして、結婚を機に専業主婦となりますが、子供を授かったことで人生が大きく動き出しました。
3年間に渡り、娘2人を毎日ママチャリで、片道5km(1日2往復、20km)離れた私立幼稚園まで送り迎えしているうちに、思った以上に脚力が付いたのです。
次女は、田園調布の幼稚園を選んだので、片道8km(1日2往復、32km)に加え、心臓破りの坂アリとなり、さらに脚力が付きました。
この7年間の送り迎えで脚が太くなると、ある日プールで、知らないおじさんに「自転車やってるの?」と聞かれ、300kmの自転車レースに出場するように勧められます。
家事を疎かにはできないので、徹夜でその長距離自転車レースに参加すると、途中、コンビニの駐車場で20~30分寝たにもかかわらず優勝したのです。
こうして自転車の才能を自覚した高松美代子さんは、平日は家事、週末は自転車レースに参加し、300kmの自転車レースで7回も優勝しました。
そんな時、48年ぶりにガールズケイリンが復活することになり、年齢制限がないことに魅力を感じて、どうしても競輪にチャレンジしたくなります。
その思いを胸に、夫に相談すると応援してくれ、史上最年長の48歳で日本競輪学校に入校し、50歳でプロ競輪選手となりました。
高松美代子の成績と引退、現在は?
50歳でプロ競輪選手となった高松美代子さんは、神奈川県に所属し、2012年7月1日に平塚競輪場でデビューを果たしました。
初戦の成績は6位で、初勝利2012年12月27日です。
夫や娘、姪の応援もあり、50代でも現役プロ競輪選手として頑張っていましたが、2016年7月に落車して頸椎を骨折し、さらに、2017年1月に夫を亡くしたことを理由に、2017年3月26日の千葉競輪5R5着を最後に54歳で引退しました。
高松美代子さんの生涯成績は、323戦3勝です。
2017/3/26千葉競輪場でラストラン
競輪選手になることを目指してからの日々は、私の人生の中で一番輝いていた時でした。
多くの先輩や後輩、仲間たちに巡り会えたことは これからの私の財産です。
ありがとうございました💕 pic.twitter.com/VWgTIsAukZ— 高松美代子 (@345miyoko_) March 29, 2017
4年9ヶ月の通算成績は、323戦3勝です。
そして、高松美代子さんは現在、ガールズケイリンサポートスタッフとして活躍しています。
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