激レアさん!坪倉優介 現在は?18歳の時に交通事故で記憶喪失
2019年8月3日放送のテレビ朝日系列『激レアさんを連れてきた。』のゲストは、18歳の時に交通事故で記憶喪失になった坪倉優介(ツボクラユウスケ)さんです。
小説やテレビドラマ、映画などで、記憶喪失になった者を登場させることは珍しくありません。
実際に、記憶喪失者が登場する作品を観たことがある人は多いでしょう。
しかし、坪倉優介さんの場合、自らが実際に記憶喪失になった経験があり、そのことを執筆して本を出版したことで、多くのテレビ番組に出演している他、2003年にはテレビ朝日系列においてオダギリジョーさん主演でドラマ化されているのです。
記憶喪失という珍しい経験をし、人生が大きく変わった坪倉優介さんの素顔に迫ります。
坪倉優介ってどんな人?
坪倉優介さんのプロフィールは、次のとおりです。
【名前】 坪倉優介(つぼくらゆうすけ)
【生年月日】 1970年12月25日
【出身地】 大阪府門真市
【最終学歴】 大阪芸術大学工芸学科染織コース卒業
【職業】 染色家
【会社】 ゆうすけ工房
坪倉優介さんは、大学生の時に自らの不注意で事故に遭い、記憶を喪失しました。
その後、大学に復学して草木染めに興味を持ち、大学卒業後は京都の『(染工房)夢 祐斎』で修行に励みます。
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そして、2006年、大阪府浪速区に『ゆうすけ工房』を設立し、坪倉優介さんは現在も草木染色家として活躍中です。
坪倉優介の日常、記憶喪失、そして社会復帰
高校を卒業して大阪芸術大学芸術学部工芸学科染織コースに進学した坪倉優介さんは、スクーターで通学していました。
そして、大学に入学して間もない1989年6月5日、いつも通りスクーターで帰宅している最中、停車しているトラックに激突してしまったのです。
大阪府立大学病院救急センターの集中治療室に緊急搬送された坪倉優介さんは、くも膜下出血で意識不明の重体でした。
それでも頑張り、10日間の睡眠の末に意識を取り戻しましたが、重度の記憶喪失で18年間の記憶を失い、知識も感情も何もない赤ちゃんの状態に戻ります。
1ヶ月後に退院しましたが、母親がアルバムを見せるも記憶は戻らず、言葉を理解できないので意思疎通もできず、満腹の感覚もないのでいつも食べ過ぎ状態です。
2ヶ月後には、自我が目覚め始め、朝昼晩を問わずに家を飛び出し、また、つたない日本語で母親などを質問攻めしました。
「大学生活すれば記憶が戻るかも」との期待を胸に、母親が大学に復学を願い出て叶いましたが、字を理解できず、記憶も蘇りません。
ただし、絵だけは上手に描けました。
そんな状況なので、当然のように留年となりましたが、知らないことは周りの人に聞くことで覚え、次第に大学生として生活できるようになると、スクーター通学や一人暮らしを始めます。
こうして、社会復帰を始めた坪倉優介さんは、大学で学んだ草木染めに興味を持ち、草木染めを極めるために大学卒業を前に専攻科に進学しました。
その後、草木染めを学ぶと、大学卒業後は京都の『染工房 夢祐斎』に入社し、現在は、染色家として活躍しています。
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