激レアさん!野々村直通 元野球部監督の実績・経歴・現在は?
2019年3月18日放送のテレビ朝日系列『激レアさんを連れてきた。』のゲストは、不適切発言でワイドナショーを賑わせた島根県の開星高校元野球部監督 兼 元美術教師の野々村直通(ノノムラナオミチ)さんです。
高校球児にとって甲子園出場は夢であり、そのために死に物狂いで日々練習しています。
その努力を成功に導くため、昔は、監督が暴力や体罰を使って野球部員を指導することが当たり前の時代がありました。
しかし、時代は変わり、野球部であろうと暴力・体罰は一切禁止とされています。
そんな中、甲子園で負けた際に不適切発言をし、それがワイドショーで報道され、世間に「やくざ監督」と激しくバッシングされたのが野々村直通さんです。
見た目も考え方も型破り過ぎる野々村直通さんの経歴や実績、現在に迫ります。
野々村直通ってどんな人?
野々村直通さんのプロフィールは、次のとおりです。
【名前】 野々村直通(ののむらなおみち)
【生年月日】 1951年12月14日
【出身地】 島根県
【趣味・特技】 野球、美術
【高校】 島根県立大東高等学校卒業
【最終学歴】 広島大学学校教育学部美術科卒業
【前職】 高校の野球部監督、高校の美術教師
【職業】 教育評論家、画家
野々村直通さんは、島根県立大東高校から広島大学に進学し、大学時代に硬式野球部に所属すると、2年生の時に広島六大学の首位打者を獲得、4年生の時に主将として『全日本大学野球選手権大会』に出場という実績を残しました。
しかし、プロになることはできず、大学卒業後は広島県立府中東高校の野球部監督 兼 美術教師となります。
そこで、「5年で甲子園に行く」と宣言し、1978年秋に中国大会で準優勝、1979年春の『第51回選抜高等学校野球大会』で甲子園初出場を果たしました。
その後、松江日大高校を経て、松江第一高校(開星高校)の野球部監督 兼 美術教師になると、創業したばかりの野球部にもかかわらず「5年で甲子園に行く」と宣言し、6年目となる1993年夏の『第75回全国高等学校野球選手権大会』で甲子園初出場を果たします。
結局、開星高校を春2回、夏7回、甲子園に導くという大きな実績を残し、野球名門校に育て上げました。
ただし、野々村直通さんの高校野球監督人生は順風満帆ではありません。
野々村直通さんは、時に、不良に対して拳で教育してきた情熱的な教育者であり、負けん気も強いです。
2010年春の『第82回選抜高等学校野球大会』初戦で、21世紀枠選出の向陽高校に「1対2」で敗退した際、「負けたのは末代までの恥」「腹を切りたい」と敗者の弁を述べ、それがワイドショーで大きく取り扱われたために、世間に激しくバッシングされました。
さらに、翌日、親分のようなド派手な格好で謝罪会見を開いたことで、「ヤクザ監督」と叩かれることに。
これらの言動が問題視され、野々村直通さんは辞任に追い込まれます。
普通ならこれで監督業廃業となるでしょうが、野々村直通さんは選手やその家族、応援団などからの信頼が厚く、約8000人の監督復帰嘆願の署名が集まって、2011年4月に監督に復帰しました。
そして、2011年夏の『第93回全国高等学校野球選手権大会』出場を果たし、2回戦で優勝した日大三高に「8対11」で敗退しています。
惜しまれつつも2012年3月に定年退職し、現在は、教育評論家と画家をして活躍中です。
野々村直通 現在は『にがお絵&ギャラリー ののむら』で似顔絵師に!
野々村直通さんは、現在、教育評論家をしながら、幼い頃からの夢であった似顔絵を仕事にしています。
その場所が、『にがお絵&ギャラリー ののむら』です。
名称 | にがお絵&ギャラリー ののむら |
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住所 | 島根県松江市殿町383 山陰中央ビル1階 |
電話 | 0852-25-9339 |
営業時間 | 10:00~17:00 |
定休日 | 不定休 |
駐車場 | なし |
料金 | 【似顔絵(1名分)】 5,000円 【似顔絵(2名分)】 8,000円 【ペット(愛犬・愛猫)】 7,000円 【風景画】 60,000円~ ※送料込みの価格です |
野々村直通さんは、「山陰のピカソ」と呼ばれた元高校の美術教師だけあって、似顔絵も上手です。
直接訪れた場合は、会話をしながら約20分で完成し、写真を持ち込んで後日郵送もできます。
ご希望の方は、『にがお絵&ギャラリー ののむら』のウェブサイトから注文してください。
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