激レアさん!ねんど大介 上海と台北で超人気芸人になった経緯
中国、台湾で一時代を一緒に作った小松拓也と^_^
おもいがけず大井町で飲んでます笑 pic.twitter.com/UnpC1044I0— ねんど大介 (@nendodaisuke) 2016年3月25日
2018年10月1日放送のテレビ朝日系列『激レアさんを連れてきた。』のゲストは、好きな女の子を追って中国まで行ったら、最終的に、上海と台北で超有名芸人になったねんど大介(ネンドダイスケ)さんです。
日本人で芸人になる人は、普通、お笑い養成所に通って日本で芸人デビューしますが、ねんど大介さんは、中国人女性への一目惚れがきっかけで、海外で芸人になったという変わった経歴を持っています。
日本ではほとんど知られていませんが、中国や台湾では超有名人です。
そんなねんど大介さんの素顔に迫ります。
ねんど大介ってどんな人?
ねんど大介さんのプロフィールは、次のとおりです。
【芸名】 ねんど大介(ねんどだいすけ) ※本名:藤田大介(ふじただいすけ)
【生年月日】 1973年10月15日
【出身地】 福岡生まれ、長崎育ち
【血液型】 A型
【身長】 170cm
【特技】 中国語、大道芸、歌
【高校】 ※非公表
【事務所】 台湾の芸能プロダクション
ねんど大介さんは、中国人女性への一目惚れがきっけで、上海と台北で有名お笑い芸人になりました。
上海と台北では、「粘土大介」名義で活動しており、街を歩けば多くの人に気付かれる超有名人です。
ちなみに、芸名の「ねんど大介」は、「どんな形にも変われるように」という意味を込めて、ワハハ本舗の社長が決めました。
ねんど大介のサクセスストーリー
高校を卒業したねんど大介さんは、ロックンローラーを目指して上京しましたが、1年で才能がないことを悟り、その夢を諦めました。
19歳の時、次の仕事を探していると、昔バンドをやっていた時に知り合った音響会社の人に誘われ、長崎ハウステンボスで照明の仕事に就きます。
当時の長崎ハウステンボスには、海外から一流のアーティストやマジシャンなどが招待され、パフォーマンスしており、ねんど大介さんは、出演者にジャグリングやマジックなどの芸を教わっていました。
そして、出演していた中国雑技団の一人の女の子・イエンホワさんに一目惚れしたのです。
「おしゃべりしたい!親しくなりたい!」と思ったねんど大介さんは、独学で中国語を勉強すると、中国雑技団のメンバーとも仲良くなり、片言で話しながら、雑技を教わるようになります。
しかし、5ヶ月後、中国雑技団が公演を終えて、帰国してしまいました。
そのことを別の雑技団の一員として来日したリンリンさんに相談すると、会いに行くことを勧められます。
どうしても会いたくなったねんど大介さんは、イエンホワさんに会うために仕事を辞めて中国まで行きましたが、同じ雑技団のホワンさんと結婚すると告げられて失恋することに。
残念ながら恋は実りませんでしたが、帰国してリンリンさんに報告すると、「良かった。私、実は、ダイスケのことが好きだった」と告白され、後に交際しました。
この2人の美女と接したことにより、雑技に興味を持ったねんど大介さんは、21歳になったある日、知り合いから、「新しく上海にオープンする焼肉店の店長にならないか?」と誘われ、快諾します。
当時は、まだ中国語に不慣れで、現地スタッフと意思疎通ができなかったため、ケンカになることもありましたが、次第に語学力が上がり、スタッフとも仲良くなりました。
さらに、23歳の時、雑技団の稽古場に転がり込むことに成功しましたが、超人的な子供たちを見て王道は諦め、皿回し・バルーンアート・簡単なジャグリングに専念します。
半年かけてこれらの技を身に付けた時、試しに団員に披露すると、大ウケし、笑いを獲ることに快感を覚えたのです。
その頃には、中国語もマスターしていました。
もっと笑いを獲りたくなったねんど大介さんは、居酒屋に飛び込みで営業に行き、ネタを披露していましたが、お客さんにものまねをお願いされることがあり、披露した中国人あるあるモノマネが上海人に大ウケします。
こうして、上海で芸人として成功し始めていたねんど大介さんですが、突然、リンリンさんが「昔からの夢だった歌手になるために雑技団を辞めたい!」と言い出し、「花形であるリンリンが辞めたらいけない」と言うねんど大介さんと対立した結果、2人は破局を迎えました。
ねんど大介さんは、一人になったことで、「これだけ海外でウケるなら、日本でもウケるはず」と考え、日本に帰国することに。
日本でも、大道芸人として成功し、1晩に18万円稼いだこともあります。
ある日、井の頭公園で大道芸人をしていると、WAHAHA本舗の人に声を掛けられ、これをきっかけに、久本雅美さんの付き人や芸を披露する機会が増え、テレビやドラマにも出演できるようになりましたが、もっと仕事がしたくて仕方ありませんでした。
そこで、社長に「もっと仕事ください」と直談判に行くと、6年も在籍したのに、「イマイチ芸風が合っていない」と言われ、ショックを受けます。
そんな気持ちを持ち続けていた2005年、雑誌記者の通訳を頼まれ、6年ぶりに上海に行った際、たまたま立ち寄ったCDショップで、「大ヒット中!」と宣伝されているリンリンさんのデビューCDを発見。
リンリンさんの活躍に感化され、再び上海に渡って芸人として活動をスタートさせると、ゴールデン番組出演をきっかけに、ドラマに出演したり、レギュラー番組を月24本抱える売れっ子芸人になったのです。
当時は、月に300万稼いでいました。
ところが、2012年、尖閣諸島問題によって日本人のテレビ出演が拒否されるようになり、月24本あったレギュラー番組が月2本に激減します。
困ったねんど大介さんは、親日家が多い台湾の台北に渡ると、偶然、台湾の明石家さんまさんことキューリさんに似ていたことで、キューリさんのものまねをして一気に人気者に。
また、海外で活躍中の日本人に密着する日本のテレビクルーを見て、現地の番組スタッフが「ねんど大介を日本では凄い人だ」と勘違いしたことも追い風となっています。
この活躍により、NHK紅白との中継もあった台湾版紅白のMCに大抜擢され、100万人の観客の前で司会をしたのです。
現在、ねんど大介は、日本でタレント活動をしながら、日本とアジアの架け橋となる活動をしています。
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