ガリガリ君、年間4億本の軌跡!萩原史雄のプロフィール
2024年2月12日放送のテレビ朝日系列『激レアさんを連れてきた。』のゲストは、関東でしか販売されていなかったガリガリ君を年間4億本売れる国民的アイスにした萩原史雄(ハギワラフミオ)さんです。
日本人のほとんどが、一度はアイスのガリガリ君を食べたことがあると思います。
一時期テレビCMが流れていたので、食べたことがない人でもガリガリ君の存在は知っていることでしょう。
安くて美味しく、コンビニで手軽に購入できることで国民的アイスになったガリガリ君ですが、製造会社である赤城乳業を倒産寸前の状態から救った凄い商品なのです。
ガリガリ君を国民的アイスにした萩原史雄さんの素顔と、ガリガリ君成功の軌跡に迫ります。
萩原史雄ってどんな人?
萩原史雄さんのプロフィールは、次のとおりです。
【名前】 萩原史雄(はぎわらふみお)
【生年月日】 ※非公表
【出身地】 ※非公表
【職業】 『赤城乳業株式会社』の開発マーケティング本部 副本部長、マーケティング部 部長
萩原史雄さんは、1995年に営業として『赤城乳業株式会社』に入社し、2004年に営業統括部(マーケティング担当)へ異動しました。
すると、勝手に次の改革をします。
- ファンクラブ『ガリガリ部』を立ち上げ、新パッケージのデザインを募集する
- 7色(7種類)のガリガリ君を虹のように並べて販売する『ガリガリ君レインボー売り場』で注目を集める
- 『コーンポタージュ味』『クレアおばさんのシチュー味』『ナポリタン味』といった変わったフレーバー商品を販売する
- 冬季限定のガリガリ君の妹『ガリ子ちゃん』を発売する
- 10円の値上げの際に、お詫びCMを放送する
- 2010年サッカーワールドカップ南アフリカ大会時にJFAやアディダスとコラボしたり、小学館やバンダイなどの他業種とコラボした
その結果、ガリガリ君は年間4億本売れる国民的アイスになったのです。
ガリガリ君の誕生と成功の軌跡
1931年創業の『広瀬屋商店』が、1961年に『赤城乳業』に商号変更し、その後、株式会社化しました。
この赤城乳業は、東京オリンピックが開催された1964年にかき氷をカップに詰め込んでかき氷を持ち運んで食べられる『赤城しぐれ』を開発すると、当時としては珍しい斬新さが受け、駄菓子屋を中心に大ヒットします。
こうして『赤城しぐれ』はロングセラー商品となったのですが、1973年の第1次オイルショック時に物価高騰に耐えきれずに販売価格を30円から50円に上げると、大手アイスクリームメーカーが値段を据え置きしたことで『赤城しぐれ』の売り上げが激減することに。
さらに、スーパーや駄菓子屋に大手アイスクリームメーカーが無償でアイスストッカーを提供していたことで、全く付け入る隙がなくなってしまいました。
そこで、子供たちが遊びながら片手で食べられるアイスを新開発することになり、1981年、それまでなかった「青色を付けたソーダ味」「2層構造でガリガリ食感を楽しめる」という特徴を持つアイスキャンディーを開発します。
商品名は「ガリガリ」という食感に「君」を付け、絵が得意な社員が中学3年生のガキ大将をイメージして描いたキャラクターを採用しました。
そして、大手に占められているスーパーや駄菓子屋ではなく、発展途上だったコンビニに置いてもらうと、大ヒットしたのです。
その後、ナポリタン味で3億円の損失を出しますが、コーンポタージュ味などの新フレーバーを次々と新発売して大ヒットさせ、「気持ち悪い」と評判の悪いキャラクターを変えて、2012年に年間4億本を売り上げてからずっと4億本以上をキープしています。
物価高騰により、2023年12月に販売価格を70円から80円に値上げしましたが、人気に影響はありません。
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