激レアさん!古賀義章 インド版『巨人の星』制作、視聴率は?
2018年7月16日放送のテレビ朝日系列『激レアさんを連れてきた。』のゲストは、インド版・巨人の星『スーラジ ザ・ライジングスター』を制作した古賀義章(コガヨシアキ)さんです。
梶原一騎さん原作による『巨人の星』は、日本を代表するスポ根野球マンガ・アニメであり、漫画を読んだり、アニメを観たことがない方でも、大まかな内容は知っています。
古賀義章さんは、この人気作品をインド版にリメイクし、インドでテレビ放送しました。
インド版・巨人の星『スーラジ ザ・ライジングスター』の制作秘話や視聴率に迫ります。
古賀義章ってどんな人?
古賀義章さんのプロフィールは、次のとおりです。
【名前】 古賀義章(こがよしあき)
【生年月日】 1964年8月26日
【出身地】 佐賀県神埼市
【居住地】 東京都練馬区
【高校】 佐賀西高等学校卒業
【最終学歴】 明治大学卒業
【職業】 日本の絵本をインド語に翻訳して出版、編集者、コメンテーター、カメラマン
古賀義章さんは、高校卒業後、2年浪人して明治大学に入学すると、アルバイトに精を出しますが、その結果、1年生の冬に急性肺炎で入院することになりました。
このことで、「苦労してお金を貯めても仕方ない」と考えるようになり、車での日本縦断後、バックパッカーとしてインド・ネパール・韓国などの国を巡る旅行をし、この時に得た経験がその後の人生を大きく変えたのです。
大学卒業後、講談社に入社して、週刊誌編集者として全国を回り、雲仙普賢岳やオウム事件、阪神大震災、イラク戦争など、数々の災害や事件を追います。
2001年には、社内留学制度でフランス滞在中に9.11が起こり、日本と海外での報道の違いを知りました。
その後、日本に帰国すると、講談社創業100周年記念事業として新雑誌企画の公募があり、これにアイデアを提案して採用され、2005年11月に『クーリエ・ジャポン(COURRIER JAPON)』の編集長になります。
そして、2010年2月に編集長を辞めると、学生時代に4ヶ月間バックパッカーとして旅していたインドに1ヶ月間の旅に出て、「いつかインドで仕事したい!」と思ったことで、インド版・巨人の星『スーラジ ザ・ライジングスター』の制作につながりました。
古賀義章さんは、インドが大好きで、今までに50~60回の渡航歴があります。
インド版・巨人の星『スーラジ ザ・ライジングスター』の制作秘話と視聴率
編集長権限で、インドのことばかり特集したため、海外事業部に異動させられた古賀義章さんは、仕事でインド・ムンバイのスラム街に行き、そこで子供たちがクリケットで遊ぶ姿を目撃しました。
その様子を見て、大好きな『巨人の星』を重ね、「インドでクリケット版・巨人の星を制作したい」と考えます。
草クリケットに参加してルール等を学び、原作者に許可を得て、スポーンサー集めに奔走し、放送局を見つけるというように、努力して、やっと制作にこぎつけましたが、文化や宗教などの問題で、原作からかなり内容を変更することを要したのです。
- 舞台を「東京都町屋」から「インド・ムンバイ」に変更
- 母親不在はNGのため、遺影として頻繁に登場するように変更
- 父・一徹の「ちゃぶ台返し」は、食べ物を粗末にしているということでNGとなり、「水」に変更
- 「ちゃぶ台返し」を「両手」から「片手」に変更
- 「大リーグボール養成ギプス」が、インド人に「虐待」と判断され、「タイヤのチューブ」に変更
- 明子姉さんの脚が見えてはいけないので、スカートを長くし、スパッツを穿いている服装に変更
- ライバル国はパキスタンをイメージしているが、曖昧にしており、パキスタンの国旗も付けていない
- インド国旗の真ん中にあるチャクラを描いてはいけない
- 商標の問題があり、「フェラーリ」と言えないので、「レッドスポーツカー」と言っている
- インドのお金持ちは自ら運転しないので、花形満は助手席に乗って登場する
- 星飛雄馬の『壁穴通し』は、野球とクリケットのルールの違いにより、ワンバウンドに変更
このように、さまざまな問題があり、一時は制作中止になりかけましたが、なんとか完成しました。
ちなみに、インド版・巨人の星『スーラジ ザ・ライジングスター』の視聴率は、0.2パーセントとのこと。
日本で視聴率0.2パーセントだと、かなり悲劇的ですが、800以上のチャンネルがあるインドでは、かなり健闘しているそうです。
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