米嶋恵介のプロフィール!27歳で脱サラして競輪選手になる
2022年11月28日放送のテレビ朝日系列『激レアさんを連れてきた。』のゲストは、ただの競輪オタクだったのに27歳で脱サラして競輪選手になり、オタクの知識だけで優勝しまくっている米嶋恵介(ヨネシマケイスケ)選手です。
競輪選手はプロスポーツ選手なので、体力がある若いうちが有利であることは言うまでもありません。
日本競輪学校の受験資格に、「17歳以上で、高校卒業以上と同等の学力があること」と定められていることもあり、ほとんどの人が高校卒業後に競輪学校を受験して競輪選手を目指します。
しかし、その一方で、93期以降は「満24歳未満」という年齢制限が撤廃されたことにより、社会人経験を経た後に競輪選手になる人も極わずかにいて、中には35歳で競輪選手になった人もいるのが現状です。
米嶋恵介選手もその数少ない中のひとりで、27歳で脱サラして競輪選手になり、優勝しまくっています。
そんな米嶋恵介選手の素顔に迫りました。
米嶋恵介ってどんな人?
米嶋恵介さんのプロフィールは、次のとおりです。
【名前】 米嶋恵介(よねしまけいすけ)
【生年月日】 1992年2月27日
【出身地】 熊本県、岡山県
【血液型】 A型
【身長】 161.5cm
【体重】 72.2kg
【趣味・特技】 競輪
【高校】 学校法人川島学園・れいめい高等学校卒業
【職業】 競輪選手
米嶋恵介選手は、27歳でデビューした遅咲きの競輪選手です。
現在はA級で、S級まであと一歩のところまで来ています。
賞金がサラリーマン時代の月給よりも多く、本人も驚いているとのこと。
競輪オタクの米嶋恵介が27歳で脱サラして競輪選手になったサクセスストーリー
米嶋恵介選手は熊本県出身で、父親が競輪好きだったこともありその影響を受けて競輪好きになると、自転車競技部が全国的に強い地元の九州学院中学校・高等学校に進学することを本気で検討しました。
しかし、身長が160㎝と小柄な体格のため、競輪に挑戦することなく断念します。
そして、中学生の時に野球部に所属し、高校は鹿児島・れいめい高等学校に野球留学するまでになりました。
高校卒業後は、岡山県にある大手鉄鋼メーカー『JFEスチール株式会社』に就職し、スポーツとは無縁の生活を送っていましたが、2016年、24歳の時に知人が後に師匠となる岩本純選手との食事の場を設けてくれたことで、その後の人生が大きく変わります。
「昔、競輪選手になりたかった!」と伝えると、岩本純選手に「今からでもなれるよ。ただし、退路を断たないといけない」と言われることに。
さらに、翌年の2017年には、34歳の皿屋豊選手が公務員から競輪選手になったことを知り、迷いに迷いました。
こうして、競輪選手になりたいけど安定した職業・生活を捨てられない状況が2年続きましたが、「競輪選手になりたい!」という中学生からの夢を叶えるために、2018年7月に退社して、まずは競輪学校を目指します。
残念ながら117期は不合格に終わったものの、練習に励んで119期で合格すると、27歳という遅いデビューでありながら、競輪選手としての才能と努力に加え、1日100レース以上観ていた競輪オタクの知識で勝ちまくって大活躍中です。
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