日本人女子初!ドリフト世界一・下田紗弥加のプロフィール
2022年8月29日放送のテレビ朝日系列『激レアさんを連れてきた。』のゲストは、OLからドライバーに転身し、日本人女子で初めてドリフト世界一になった下田紗弥加(シモダサヤカ)さんです。
ドリフトとは、車やバイクで横滑りしながらコーナーを攻める走法で、日本が発祥とされています。
人気マンガ『頭文字D(イニシャルD)』の影響もあり、走り屋が峠を攻めることで問題視されることがありますが、今ではドリフトの世界大会が行われるまでになりました。
下田紗弥加さんは、AT限定免許でレース初心者でありながら、負けん気の強さでドリフト競技に挑み、日本人女子初の世界チャンピオンに輝いたのです。
そんな下田紗弥加さんの素顔と経歴に迫ります。
下田紗弥加ってどんな人?
下田紗弥加さんのプロフィールは、次のとおりです。
【名前】 下田紗弥加(しもださやか)
【生年月日】 4月19日
【出身地】 千葉県
【血液型】 A型
【身長】 168cm
【特技】 車の運転、ドリフト、練習
【高校】 ※非公表
【職業】 ドリフトドライバー
下田紗弥加さんの職業はドリフトドライバーで、日本人女子初の世界チャンピオンです。
練習費用が1回約10万円必要で、その他に車や遠征費用なども必要なため、プロのドリフトドライバーだけで生計を立てるのは難しく、スポンサーに応援してもらう必要があるとのこと。
その点、下田紗弥加さんは美人であり、実力のあるドリフトドライバーということで、スポンサーの援助でプロ生活を続けられています。
下田紗弥加のサクセスストーリー!OLからドリフト世界チャンピオンに
下田紗弥加さんは、学生時代にバレーボールに励み、プロになることを志すと、特待生として強豪校に進学してインターハイや全国大会に出場しました。
しかし、高校時代はずっとケガに悩まされ、とうとうドクターストップが出て、高校3年生の時にバレーボールをやめざるを得ない状況に追い込まれます。
こうして夢を絶たれた下田紗弥加さんは、お金の問題で大学進学ができず、高校卒業と同時にOLとして働き始めますが、高校の奨学金の返済で手元にお金が残らず、大学生の友達よりもお金がない状況に劣等感を感じることに。
そんな苦しい精神状態の中、さまざまなエンターテイメントに心救われることが多々あり、「自分もエンターテイメントの世界で成し遂げたい!」と思うようになったのです。
とは言え、挑戦するためには努力と時間、お金が必要ということで、まずはお金で挑戦が制限されることがないように、テーマパークの仕事に加え、スポーツジムのインストラクターと派遣の仕事のトリプルワークでお金を貯め始めました。
働きすぎで倒れて救急車で搬送されたこともありましたが、5年間働き詰めの生活を続けてある程度の貯金が貯まります。
そこで、「自分は何がやりたいのか?」と考えた時に、昔から車が好きで「レーサーになりたい!」と思っていたことがあることに気付き、さらに、昔、お台場でD1グランプリのポスターを見たことを思い出しました。
早速、D1グランプリの観戦に行くと、ドリフトの迫力と観客の熱気に「これだ!」「いつか私もこの場に立とう」と決意し、そのまま会社に行って「私ドリフトのドライバーになるので辞めます」と告げ、バカにされながらも全ての仕事を辞めたのです。
この時、下田紗弥加さんはAT限定免許だったにもかかわらずマニュアル車のRX-7を購入し、教習所で限定解除したものの、坂道発進ができずに後続車に迷惑を掛けていました。
当然、母親は危険という理由で大反対。
しかし、下田紗弥加さんの意志は強く、家の近くにサーキットがあったことで、佐藤謙さんが運営するドリフトドライビングスクール『HYPER DRIVE SCHOOL』に通い始め、最初はあまり相手にしてもらえませんでしたが、通い続けるうちにプロになりたいという意思が伝わり、本気で指導してもらえるようになります。
そして、練習中に横転して頭から出血する事故に遭いながらもドリフトの練習を続けた結果、2年目でD1Aライセンスを取得し、2018年に『D1Lightsシリーズ』に参戦、2019年に中国・北京で開催された『IDLC2019 ドリフトレディース世界大会』で優勝して、日本人女子初のドリフト世界一に輝きました。
2022年には、『D1GP』の第3戦において男性ばかりの中で8位になり、今までの女性最高順位を更新しています。
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