狩野英孝、ヒッチハイク1回で宮城広島間・往復2000kmの旅終了
2022年4月18日放送のテレビ朝日系列『激レアさんを連れてきた。』のゲストは、高校3年生の夏休み40日間を使って往復約2000kmのヒッチハイク旅に出かけたら、予想外の1回、2日間で終了した狩野英孝(かのえいこう)さんです。
みなさんはヒッチハイクをしたことがありますか?
実際にヒッチハイクをしたことがあるという人はほとんどいないでしょうが、1990年代から2000年代前半に放送されていた日本テレビ系列『進め!電波少年』シリーズを観ていた人には馴染み深いでしょう。
『進め!電波少年』で「猿岩石ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」が国民的人気を得ると、『進ぬ!電波少年』で「朋友(パンヤオ)アフリカ・ヨーロッパ大陸縦断ヒッチハイク」が続き、さらに、『雷波少年』で「ドロンズ南北アメリカ大陸縦断ヒッチハイク」が放送されました。
猿岩石は有吉弘行さんが組んでいたお笑いコンビで、出発時は無名でしたが、帰国後は一気にスターとなり、その後に人気の陰りを経験しながらも今の大活躍に繋がっています。
その猿岩石に憧れた狩野英孝さんでしたが、ヒッチハイクの旅は一瞬で終わってしまったのです。
強運過ぎる狩野英孝さんのヒッチハイク旅に迫ります。
狩野英孝ってどんな人?
狩野英孝さんのプロフィールは、次のとおりです。
【芸名】 狩野英孝(かのえいこう)
【生年月日】 1982年2月22日
【出身地】 宮城県栗原市
【血液型】 A型
【身長】 175cm
【体重】 66kg
【趣味】 ゲーム、漫画
【特技】 ギター弾き語り、飲み比べ
【高校】 築館高等学校卒業
【最終学歴】 日本映画学校卒業
【事務所】 マセキ芸能社
俳優志望だった狩野英孝さんは、高校卒業後に上京して日本映画学校の俳優科に通いましたが、卒業を前にして芸能事務所に所属することができませんでした。
そんな時、講師に紹介されたマセキ芸能社に所属することができ、ホストキャラと「ラーメン・つけ麺・僕イケメン」のギャグがウケて人気芸人となります。
プライベートでは、2012年に一般女性と結婚したものの、8股交際が原因で2014年に離婚し、2021年6月15日に別の一般女性と再婚しました。
また、亡くなった父親の跡を継ぎ、約1500年の歴史を持つ桜田山神社の宮司となるべく、神職も行っています。
2日間で終わった狩野英孝のヒッチハイク旅
高校生だった狩野英孝さんは、『進め!電波少年』をよく観ており、猿岩石に憧れて「男なら一度はヒッチハイクをやるべだ!」と考えました。
そして、高校1年生の時に宮城県仙台・福島県磐城間、高校2年生の時に宮城県仙台・新潟県粟島間を制覇すると、高校3年生の時にさらに長距離のヒッチハイク旅に挑戦することを決意したのです。
当時、ギターを始めたばかりで、好きなミュージシャンが19(ジューク)だったため、「19の出身地である広島県に行ってストリートライブをやろう」と計画を立てます。
しかし、狩野英孝さんの実家は約1500年続く由緒正しい櫻田山神社です。母親に「広島にヒッチハイクで行きたい」と告げたものの、「危ない」と認めてもらえませんでした。
親に反対されたからといって諦めきれません。無断でヒッチハイク旅に出かける決意をすると、友人の岡野さんと5000円ずつ出し合い、朝食を食べた後にギターを持って家を飛び出して、1時間かけてガソリンスタンドに行って止まっているトラックの運転手に声を掛けます。
すると、幸運にも一台目で広島行きの長距離トラックがつかまったのです。
宮城県から広島県までの約1000kmに費やした時間は8時間。広島で路上ライブをやり、投げ銭でプラスになります。
しかも、そのドライバーが荷物を降ろした後に広島まで送ってくれて、往復約2000kmを16時間で終えてしまいました。
結果、夏休みの40日間を使うはずが、2日間で終了したため、家族は狩野英孝さんが広島まで行ったことを信じていません。
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