整備士・福田博之!軽トラを改造してカウンタック、ロードスターでマッハ号
2022年1月24日放送のテレビ朝日系列『激レアさんを連れてきた。』のゲストは、子どもの頃からの憧れが抑えられず、軽トラを魔改造して、手作りで超高級スーパーカーを作った福田博之(フクダヒロユキ)さんです。
「軽トラを改造してスポーツカーを作れるのか?」と疑問に思う人は多いでしょうが、優れた自動車整備士であり、子供の頃から「スポーツカーが欲しい!」と思い続けた福田博之さんは実際にその夢を実現しました。
しかし、プロであっても容易ではなく、とんでもなく長い期間と莫大な費用を要してスポーツカーを所有するという夢を実現しています。
福田博之さんの素顔と軽トラ等を改造してスポーツカーを作った経緯に迫りました。
福田博之ってどんな人?
福田博之さんのプロフィールは、次のとおりです。
【名前】 福田博之(ふくだひろゆき)
【生年月日】 1965年
【出身地】 群馬県富士見村(現・前橋市)
【趣味】 スポーツカー
【特技】 車の改造
【高校】 渋川工業高等学校卒業
【職業】 自動車整備士、自動車整備工場『福田モータース』の経営者
福田博之さんは群馬県富士見村(現・前橋市)出身で、渋川工業高校卒業、日本自動車連盟(JAF)職員を経て、父親が前橋市で経営する自動車整備工場『福田モータース』働き、後に事業を引き継ぎました。
改造したスポーツカーを乗っていることで地元で有名になり、テレビ朝日系列『ナニコレ珍百景』など全国放送のテレビでも取り扱われる存在になっています。
福田博之が軽トラを改造してカウンタックを作った経緯
福田博之さんは1965年生まれで、小学生の時にスーパーカーブームが到来したスーパーカー世代です。
小学生の頃に、地元で開催されたスーパーカーの展示会に行った際にランボルギーニ・カウンタックに魅了され、また、テレビでアニメ『マッハGoGoGo』を観て心躍らせました。
その後、渋川工業高校に進学して自動車研究部に所属すると、車を改造して校内で走らせ、高校卒業後は日本自動車連盟(JAF)職員を経て、父親が経営する自動車整備工場『福田モータース』で働き始めます。
そして、1998年11月にアメリカ・ラスベガスで開催された世界最大級の改造車の見本市『SEMAショー』を見に行き、改造車の可能性を実感すると、「買えないなら自分でランボルギーニ・カウンタックを作ろう!」と決意したのです。
ランボルギーニ・カウンタックのミニカーで採寸し、工場にあった『スバル・サンバートラック(排気量360cc)』という古い軽トラを土台にして、苦労しながらも1993年3月から3年以上かけて2002年夏に完成しました。
その名も、『サンバルギーニ・コカウンタック LO360』です。
一度は自動車検査登録事務所に断られましたが、10年後の2013年に相談し、同年8月に自動車登録され、無事に公道を走らせることができるようになりました。
すると、今度は『マッハGoGoGo』のマッハ号を作りたくなり、プラモデルで採寸して、マツダのオープンカー『ユーノス・ロードスター』をベースにマッハ号の製作を始めます。
試行錯誤しながらも、2002年8月から15年かけて2017年春に完成し、抽選で『-55』のナンバープレートも取得しました。
マッハ号に乗る際は、主人公・三船剛のコスプレ姿で楽しんでいます。
【同日放送】 『ギャル式ブレスト』考案者・バブリー(竹野理香子)のプロフィール
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