激レアさん!ゾフィー上田航平 尖って劇団1人、火災を起こす
2020年9月19日放送のテレビ朝日系列『激レアさんを連れてきた。』のゲストは、演劇界の鬼才と思われたくて尖っていたら劇団員全員が辞めてしまい、それならと一人で挑んだ公演で火災を起こして炎上したことがある上田航平(ウエダコウヘイ)さんです。
ご存知の通り、上田航平さんは、相方のサイトウナオキさんとお笑いコンビ『ゾフィー』を組む一方、腹話術人形の『ふくちゃん』を使ったピン芸でも高く評価されています。
そのため、多くの人は、ゾフィー上田さんのことを生粋のお笑い芸人と思っているのではないでしょうか?
しかし、実際は役者や脚本家として演劇の世界で成功することを目指していた時期があり、その時に天狗になって大失敗を重ねたのです。
大失敗したゾフィー上田さんの役者時代に迫ります。
上田航平ってどんな人?
上田航平さんのプロフィールは、次のとおりです。
【芸名】 上田航平(うえだこうへい)
【生年月日】 1984年12月17日
【出身地】 神奈川県
【血液型】 O型
【身長】 170cm
【体重】 55kg
【趣味】 読書、剣道二段(上段の構え)、サウナ、じゃがいも
【特技】 子供に勉強を教える、本・海外ドラマの知識、執筆活動
【高校】 ※非公表
【最終学歴】 慶応義塾大学法学部政治学科卒業
【事務所】 グレープカンパニー
上田航平さんは、中学生の時にお笑いに目覚めましたが、大学生の時に役者の道に進みます。
しかし、失敗を重ねて劇団は解散を遂げました。
役者・脚本家として挫折し、借金に悩む中、流木ターナーさんに誘われてお笑いコンビ『チェルシー』を結成します。
結局、チェルシーは3年で解散し、その後はピン芸人になりましたが、元芸人で普通に働いていたサイトウナオキさんを誘い、『ゾフィー』を結成しました。
ゾフィー上田航平が劇団1人になり、火災を起こした経緯
ゾフィー上田さんの父親は高校野球の名監督として知られた上田誠さんだったため、ゾフィー上田さんも子供の頃は野球をしていましたが、父親の指導があまりにも厳し過ぎて小学生で野球をやめました。
中学・高校は剣道に励みましたが、弱すぎて何も結果を残せません。
そこで、中学生の時に校長先生に直接、お笑い研究会の設立を交渉し、さらに、文化祭で中国語漫才を披露して笑いを獲ります。
この時、みんなから「結構、演技上手いね!」と言われたゾフィー上田さんは、慶応義塾大学に進学して芝居を始めました。
そして、大学卒業を目前にして、仲間2人と劇団『ザ・カルチャーズ』を立ち上げたのです。
ゾフィー上田さんは、就職せずに講師のアルバイトで生活費を稼ぎながら劇団の運営を始め、徐々に劇団員も増えて約50人に達します。
しかし、演劇界の鬼才と思われたかったゾフィー上田さんは、上から目線で劇団員に命令し、横柄な態度を取っていました。
そんなある日、劇団員約20人と居酒屋でミーティングを行うことになったのですが、不満がありそうな劇団員に「文句あるんだったら言えよ」と言うと、「しんどい」と言い返されます。
その言葉を聞いたゾフィー上田さんが、「わかった、じゃあもう本当にやりたいやつだけやればいいし、やりたくないやつは帰れよ」と言うと、そこにいた約20人全員が帰りました。
尖っていたゾフィー上田さんは、劇団員全員に嫌われていたのです。
結局、約50人いた劇団員全員が去ったため、「劇団ひとり」ならぬ「劇団1人」になりました。
ひとりぼっちになったゾフィー上田さんは、仕方なく、脚本も出演も一人で行うことを決意し、苦労しながらも公演の日を迎えます。
ただし、公演で火災を起こして世間からバッシングされ、劇団も解散することになりました。
その後、ゾフィー上田さんは芸人になり、25歳ぐらいの時に、尖っていた自分のミスに気付いたそうです。
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