激レアさん!芝原仁一郎 ブルライディングで骨折だらけ、バイトも?
2018年3月26日放送のテレビ朝日系列『激レアさんを連れてきた。』のゲストは、日本唯一のプロ・ブルライダーである芝原仁一郎さんです。
ブルライディングとは、ロデオの種目のひとつであり、オスの暴れ牛に乗ります。
19世紀後半のアメリカで、カウボーイたちが暴れ牛に乗って遊んでいたことが起源であり、20世紀になり、プロスポーツとして確立されました。
芝原仁一郎さんは、このブルライディングで何度も骨折しているのに、命を懸けて暴れ牛に乗り続けています。
『激レアさんを連れてきた。』には、妻と一緒に出演しました。
芝原仁一郎ってどんな人?
芝原仁一郎さんのプロフィールは、次のとおりです。
【名前】 芝原仁一郎(しばはらじんいちろう)
【生年月日】 1971年
【出身地】 北海道函館生まれ、岐阜県育ち
【血液型】 B型
【身長】 184cm
【体重】 76kg
【趣味】 写真、料理
【特技】 ブルライディング
【高校】 岐阜県内の高校普通科卒業
【最終学歴】 横浜商科大学貿易・観光学科卒業
【職業】 プロ・ブルライダー、屋形船のアルバイト
芝原仁一郎さんは、スポーツ万能で、中学は陸上部、高校は野球部、大学ではラグビー部に所属していました。
そして、大学時代にミサコさんと出逢いますが、授業で一緒になる程度で、4年生の時には授業でも会わなくなり、そのまま会うことなく大学を卒業して、お互い就職したのです。
芝原仁一郎さんは、大学卒業を機にスポーツにも見切りをつけています。
しかし、このままサラリーマンを続け、平凡な生活をしていくことが想像できませんでした。
そんな気持ちの中で迎えた就職2年目の夏休み、旅行で訪れた米テキサス州でブルライディングを見て熱く興奮し、大学時代に『モノ・マガジン』のカウボーイ特集を見て、ウエスタンファッションをしていた昔の記憶が甦ったのです。
それから半年後、芝原仁一郎さんは、「カウボーイになる」と告げてホテルマンを辞め、1995年には、カナダに渡って、牧場で働きながら、ロデオ学校に通いました。
ただ、それでは生活できなかったので、冬から春にかけては日本でアルバイトし、夏から秋にかけてはアメリカやカナダでブルライディングをすることになります。
現在も、東京都にある『屋形船・船清』でアルバイト中です。
そんな生活をしていた40歳の時、派遣会社で働いていたミサコさんがフェイスブックの友達申請をし、仕事の悩みを相談している内に恋仲になって、半年後に結婚しました。
ミサコさんの両親には、芝原仁一郎さんの職業を「スポーツ関係」と説明したそうです。
こうしてスピード婚した二人ですが、アメリカへ88泊90日の新婚旅行ならぬロデオ旅行へ行った際、芝原仁一郎さんが落下して、牛に踏まれて病院に緊急搬送されます。
その時、心配するミサコさんを見て、芝原仁一郎さんは43歳でブルライダー引退を決意しました。
ところが、元気がなくなった夫を見て、ミサコさんが復帰を許可し、芝原仁一郎さんさんは再びブルライダーになったのです。
ちなみに、芝原仁一郎さんは、アメリカのプロ・ブルライダーの資格を取得していますが、2008年にプロになってから2018年春までの10年間で、まだ勝ったことがなく、賞金25万円しか稼いでいません。
アルバイトと妻の支えで、何とか生活しています。
芝原仁一郎のブルライディング
ブルライディングのルールは簡単で、体重が1トンある牡牛の胴体にロープを1本回し、このロープを掴んで8秒間乗り続けるだけです。
8秒間乗れないと失格です。
採点は、カウボーイ50点、牛50点、合計100点で採点されます。
牛はブルライダーを振り落とそうと暴れ回りますし、落ちてからも襲ってくるので、とても危険なのは言うまでもありません。
実際、2018年3月4日放送のフジテレビ系列『ジャンクSPORTS』では、右目の眼窩・左の腸骨・頬骨・右足の足首など、今までに計11ヶ所を骨折していることを告白し、出演者の中で2番目に多い骨折回数でした。
8秒間は短い時間ですが、暴れ牛に乗る8秒間はかなり長いようです。
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