激レアさん!吉永拓哉 暴走族・少年院、そして新聞記者になる
組長と一緒に。 pic.twitter.com/FV8Z8shIwp
— ブラジル番長(吉永拓哉) (@brasil_bancho) 2014年10月16日
2019年1月14日放送のテレビ朝日系列『激レアさんを連れてきた。』のゲストは、元暴走族で、少年院にも入りましたが、そこで反省文を書き過ぎたことで文才が開花し、敏腕新聞記者になった吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さんです。
少年院とは、犯罪を犯した少年で、家庭裁判所の審判によって保護処分の決定を受けた者などを収容し、矯正する施設ですが、ドラマの設定で登場するだけで、多くの人には馴染みがない施設でしょう。
吉永拓哉さんは、若い頃に不良・暴走族となり、数々の犯罪を犯した結果、少年院に入ることになりましたが、見事に更生しました。
しかし、更生後も吉永拓哉さんの人生には、さまざまな困難が待ち受けていたのです。
そんな吉永拓哉さんの素顔と人生に迫ります。
吉永拓哉ってどんな人?
吉永拓哉さんのプロフィールは、次のとおりです。
【名前】 吉永拓哉(よしながたくや)
【生年月日】 1977年9月22日
【出身地】 福岡県福岡市
【血液型】 A型
【高校】 定時制高校中退
【職業】 ジャーナリスト、ノンフィクション作家
見るからに怖そうな吉永拓哉さんですが、見た目だけでなく、実際に悪い人でした。
しかし、少年院で更生し、現在は、『サンパウロ新聞社福岡支局』の新聞記者、ノンフィクション作家、ウェブ番組『親不孝通りTV』のMC、非行少年の更生活動などで活躍中です。
また、弟と妹の3人で、イラストレーターの事務所『スタジオ・エドマッチョ』も設立しています。
なお、弟の『よしながこうたく』さんは、『給食番長』などの番長シリーズで人気の絵本作家です。
この絵本で描かれている番長は、幼い頃の吉永拓哉さんがモデルとされており、この絵本によって、吉永拓哉さんは「ブラジル番長」と呼ばれています。
吉永拓哉の壮絶人生
ヤンキー記者、南米を行く
ぶっちぎり少年院白書
少年院で、大志を抱け
父はコーヒー会社経営 母は料亭の娘という家庭に生まれた吉永拓哉さんですが、中学生で不良となると、15歳で背中に龍の刺青を入れ、学校内で違法行為をするようになりました。
その結果、中学2年生の時に、学校側から登校拒否されます。
中学卒業後は、定時制高校に入学しましたが、不良はさらに加速し、福岡市内の指定暴走族グループ『鬼姫』の副総長を務めたり、学校内で違法薬物を吸引して、高校2年生の時に中退となりました。
退学後も不良を続けていた吉永拓哉さんですが、違法薬物、共同危険行為(暴走行為)、暴力事件で警察に検挙され、少年院に送致されることに。
しかし、それが吉永拓哉さんの人生を一変させます。
それまで全く勉強してきませんでしたが、少年院で反省文を書き続けたことにより、一気に文才が開花すると共に、心の底から反省して見事に更生を果たしたのです。
少年院を退院した吉永拓哉さんは、父親の指示により南米に旅立つと、ボリビアで不法入国者と疑われて連行されるトラブルはあったものの、「エクアドルのバナナ農園」「ペルーの民芸品店」「ブラジル東北部でホテル」で働いたことで、そこで一生懸命働く日本人移民の姿に感化されました。
そして、一時帰国した後、日本と南米の架け橋となるべく、ブラジルの永住権を得るために何度か日本とブラジルを行き来すると、福岡でペルーのフジモリ元大統領のSPを務めたり、ブラジルのギャング団に命を狙われたりします。
それでも、日本とブラジルを往復し続けた結果、2004年にブラジルの永住権を取得し、ブラジルの日刊邦字紙『サンパウロ新聞社』に採用されました。
さらに、2006年に『サンパウロ新聞社福岡支局』を設立し、少年院時代に開花した文才を活かせる新聞記者となったのです。
ただし、2007年にブラジルのアマゾン奥地に取材に行った際に、強盗団による銃撃戦に巻き込まれており、運良く助かったものの、安心できる仕事ではありません。
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