原田ちあき 生い立ち・恋愛・元彼・本は?悪口漫画でブレイク
誰もが描けそうな変わった絵を描いている漫画家と言えば、蛭子能収さんを思いつくでしょう。
しかし、原田ちあきさんは、蛭子能収さんの絵よりも奇抜な絵で注目を集めています。
しかも、カラフル過ぎる色合いの漫画に、悪口を添えるという斬新な内容も、類をみません。
イラストレーター、漫画家、美術家、キュレーターなど、さまざまな活動をし、自らの職業を「よいこのための悪口メーカー」と紹介する原田ちあきさんの素顔に迫ります。
原田ちあきってどんな人?
原田ちあきさんのプロフィールは、次のとおりです。
【名前】 原田ちあき(はらだちあき)
【生年月日】 1990年9月1日
【出身地】 大阪府
【趣味】 寝る事、絵を描く事
【高校】 大阪府立港南造形高等学校卒業
【職業】 イラストレーター、漫画家、美術家、キュレーター
原田ちあきさんの生い立ちを知ると、順風満帆な人生で漫画家になったのではないことが分かります。
子供の頃から絵を描くことが大好きでしたが、当時はただの趣味でした。
そのため、高校は制服が可愛い商業高校に進学するつもりでしたが、可愛がってくれていた美術の先生が亡くなり、生前、その先生に大阪府立港南造形高校への進学を勧められていたため、その進路を選びます。
ただ、美術を職業にする気はなかったので、美術は授業だけで、演劇部に入って積極的に活動しました。
そして、高校卒業後は、劇団に入って芸人を目指しましたが、ネガティブな性格でコンビを組んでくれる相手が見つからず、ピン芸人となるも、トイレットペーパーの芯でタコを作ってビリビリに壊す芸などでドン引きされ、芸人としての道を断念します。
そんな時、京都造形芸大学に進学した友人に、作品の制作を依頼され、久しぶりに絵を描くと面白くて、劇団を辞めました。
歯科助手、本屋、パン屋、ホームセンターなど、さまざまなバイトをしましたが、最終的に派遣社員としてコールセンターで働きながら絵を描き、絵の依頼をされたり、個展を開催します。
やがて、忙しくてコールセンターの仕事を1ヶ月間休まなければならなくなりましたが、最長でも2週間しか休めないため、退職してフリーランスのイラストレーターになりました。
その後、漫画家としてもデビューし、今日に至るのが、原田ちあきさんの生い立ちです。
原田ちあきの恋愛・元彼
原田ちあきさんは、自身の恋愛もマンガにしています。
それによると、2010年頃、5歳年上のバンドマンの彼氏ができました。
原田ちあきさんにとって、初めてできた彼氏です。
初めての恋愛ということで、狭いワンルームでアコースティックギターを奏でながらのオリジナルソングに感激し、1週間後に冷たくなった彼に倦怠期を感じて興奮しました。
そのニート状態の彼が、突然、「ドイツに約1ヶ月行く」と言い出し、原田ちあきさんが一緒に行こうとすると、「1人で行きたい」と断られます。
さらに、その不在中、彼のマンションで留守番し、家賃も支払い続けるように言われたのです。
それでも、原田ちあきさんは、頼りにされていると大喜びし、家賃を払って留守番しました。
しかし、ドイツから帰国した彼は、ドイツかぶれして、「日本の空は狭い」と言い、「家は邪魔じゃない」と言い出します。
結局、その後、破局しました。
また、原田ちあきさんは、別の漫画で、週一で告白してフラれ続けていたことも告白しており、人とは違う恋愛をしているようです。
原田ちあきの本
原田ちあきさんが出版した本は、次のとおりです。
原田ちあきさんが、子供の頃に初めて読んだ漫画が『伝染るんです』で、2番目に読んだのが『漂流教室』です。
どちらも好きな漫画ということで、強く影響を受けたことが分かります。
原田ちあきさんの漫画は、ブログなどでも読めるので、ぜひ一度、読んでみてください。
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