志茂田景樹 転職50回!作家になったきっかけは?
志茂田景樹さんは、直木賞受賞者の作家でありながら、タレントとしても活躍しています。
カラフルで奇抜な格好と独特のキャラクターで注目を集め、1980年代、1990年代によくテレビ出演していましたが、その後はあまり見かけることがなくなりました。
しかし、次男の下田大気さんが凄腕のタクシードライバーとしてテレビで紹介され、さらに、武蔵野市議会議員に当選したことで、志茂田景樹さんの名前も表に出るようになります。
そして、タレントでモデルのりゅうちぇるさんが、志茂田景樹さんのことを尊敬しているとコメントし、再び、注目の存在となっています。
そんな志茂田景樹さんの素顔に迫りました。
志茂田景樹ってどんな人?
志茂田景樹さんのプロフィールは、次のとおりです。
【ペンネーム】 志茂田景樹(しもだかげき) ※本名:下田忠男(しもだただお)
【生年月日】 1940年3月25日
【出身地】 静岡県伊東市
【血液型】 A型
【身長】 180cm
【体重】 61kg
【趣味】 ウォーキング、料理
【高校】 東京都立国立高等学校卒業
【最終学歴】 中央大学法学部政治学科卒業
【事務所】 ビッグブッキングエンターテインメント
志茂田景樹さんは、1980年に『黄色い牙』で直木賞を受賞した人気作家です。
志茂田景樹さんの本名は「下田忠男」と言い、「茂る田んぼを志す」という意味を込めて「志茂田」、江戸時代の国文学者「香川景樹」から「景樹」を取り、ペンネームとしています。
世間的には、作家としての姿より、派手な衣装と髪の毛が目を引くでしょう。
派手なファッションをするようになったきっかけは、ニューヨーク帰りの女性の知人が、お土産にカラフルなタイツをくれ、男が穿く者じゃないと思いながらも穿いてみると、心が解放されたからです。
カラフルなタイツにTシャツ姿で街に出ると、バカにされたり、好奇の目で見られましたが、その姿を貫き、テレビに出演して受け入れられるようになりました。
現在、志茂田景樹さんは、子供たちに読み聞かせの活動をしている他、ツイッターでは人生相談を受けており、若者から非常に支持されています。
志茂田景樹の転職理由と作家になったきっかけ
志茂田景樹さんに対して、すんなり作家になったようなイメージを持っている人が多いですが、そうではありません。
志茂田景樹さんは、今までに20回以上転職をしているのです。
1年浪人して中央大学法学部政治学科に入学し、2年留年して卒業すると、弁護士事務所に就職しますが、その後、探偵、保険調査員、週刊誌記者、塾講師など、さまざまな職業を経験しました。
「上司がキモイ」「無断欠勤」「営業職にもかかわらず頭を下げるのが好きじゃない」といった理由で退職を繰り返し、すぐに辞めた仕事も合わせると、転職回数50回はあるとのこと。
保険の調査員をしていた28歳の時、小説雑誌の新人賞の記事を見て小説家を意識するようになり、盲腸と腹膜炎で入院したことで、空いた時間に小説を書き始めました。
もし、入院していなかったら、小説は書いていなかったそうです。
そして、1976年に『やっとこ探偵』で小説現代新人賞を受賞し、1980年に『黄色い牙』で直木賞を受賞して、人気作家の仲間入りをしています。
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