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激レアさん!澤田真一 甲子園0勝7敗の監督、敗因と高校は?


甲子園

2018年3月5日放送のテレビ朝日系列『激レアさんを連れてきた。』のゲストは、高校野球部の監督としてチームを強くし、甲子園に何度も出場したのに、一度も勝てなかった澤田真一さんです。

高校野球はアマチュアチームの試合にもかかわらず、長年に渡って幅広い年齢層から支持されており、特に夏の大会の注目度は群を抜いています。

そして、選手として甲子園に出場することは、子供の頃からずっと野球をやってきた高校生の夢であり、野球人生を賭けて真剣勝負が繰り広げられるのです。

澤田真一さんは、監督としてその甲子園に春夏合計7回出場して連敗し、甲子園連敗記録を作りました。

そんな澤田真一さんの敗因や失敗談、プロフィールを紹介します。

澤田真一ってどんな人?

澤田真一さんのプロフィールは、次のとおりです。

【名前】 澤田真一(さわだしんいち)

【生年月日】 1965年5月1日

【出身地】 岩手県釜石市

【高校】 岩手県立釜石北高等学校卒業

【最終学歴】 東北福祉大学卒業

【現職】 盛岡大学附属高等学校の教頭

澤田真一さんは、東北福祉大学で野球部に所属し、外野手兼選手会長として活躍しました。

2学年下には大魔神・佐々木主浩さん、4学年下にはアニキ・金本知憲さんがいます。

そして、大学卒業後は、青森県立三沢高校でコーチ、青森山田高校で野球部長を務め、1991年から盛岡大学附属高校の野球部監督に就任したのです。

結局、1991年4月から2008年夏までに、春大会1回、夏大会6回も甲子園に導きましたが、一度も勝利を収めることはできませんでした。

2008年に勇退して総監督となり、2017年には総監督も辞め、現在は、盛岡大学附属高校の教頭先生をしています。

澤田真一の甲子園成績と盛岡大学附属高校の連敗ストップ

澤田真一さんが盛岡大学附属高校の野球部監督に就任した時、野球部は弱小で、部員9人、バット3本とボール20個、サッカー部とグラウンド兼用、予算なしの状態でした。

アルバイトを優先させて試合に来ない部員もいたほどです。

そんなチームを、厳しさだけではなくユーモアも交えて指導し、時に相談に乗った結果、1995年に初めて甲子園出場を決めます。

しかし、待っていたのは初戦敗退で、その後も甲子園では勝てなかったのです。

澤田真一監督時代の盛岡大学附属高校野球部の結果

  • 1995年夏 高知商(7) X 盛岡大付(5)
  • 1996年夏 東筑(2) X 盛岡大付(0)
  • 2001年夏 盛岡大付(1) X 近江(4)
  • 2003年春 盛岡大付(0) X 横浜(10)
  • 2003年夏 福井商(8) X 盛岡大付(6)
  • 2003年夏 盛岡大付(2) X 明徳義塾(15)
  • 2003年夏 盛岡大付(3) X 駒大岩見沢(8)

初戦敗退の不甲斐なさに、頼んでいない寿司を10人分勝手に注文される嫌がらせもありました。

澤田真一さんは、弱小校を甲子園常連校にした通り、監督としては有能でしたが、ショックのあまりに甲子園で敗戦したVTRを観て反省することを避けたことで、間違った練習を続けてしまったことが敗因です。

こうして、澤田真一さんは甲子園連敗記録を作りましたが、監督を引き継いだ教え子である関口清治監督によって、2013年の選抜高等学校野球大会で甲子園初勝利を収め、2016年夏と2017年春には2勝ずつし、2017年夏はベスト8入りしています。


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