稲川素子の経歴!マッカーサー、ルビー・モレノとの関係は?
日本の芸能界は、ほとんどの芸能人が、芸能事務所に所属して活動しています。
大小さまざまな芸能事務所が存在しており、それぞれがスカウトやオーディションで優れた人材を確保し、スターにするべく育成に力を注いでいるのです。
そのため、芸能事務所は、協力関係はありながらも基本的にはライバル関係であり、狭い世界でしのぎを削っています。
そんな中、稲川素子さんは、それまでなかった外国人タレントに特化した芸能事務所を設立し、大成功しました。
しかも、それだけではなく、マッカーサーやルビー・モレノと深い関係があり、麻酔なしで帝王切開を受けるなど、波乱万丈な人生を送っているのです。
希有な存在である稲川素子さんの素顔に迫ります。
稲川素子ってどんな人?
稲川素子さんのプロフィールは、次のとおりです。
【名前】 稲川素子(いながわもとこ)
【生年月日】 1934年1月18日
【出身地】 福岡県柳川市
【血液型】 A型
【趣味】 ダンス
【高校】 ※非公表
【最終学歴】 慶應義塾大学文学部卒業、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了
【職業】 株式会社稲川素子事務所の代表取締役社長
稲川素子さんは、ピアニストの娘・佳奈子さんがドラマ出演した際、外国人タレントを探していた監督に外国人を紹介したことで、ビジネスになることを悟り、51歳の時に外国人タレントに特化した芸能事務所を設立しました。
それが稲川素子事務所であり、2017年時点で、142ヶ国・5200人の外国人が在籍しています。
『奇跡体験!アンビリバボー』の再現ドラマ他、テレビに出演する外国人タレントのほとんどが、稲川素子事務所在籍です。
2017年12月時点で83歳ですが、現在も代表取締役社長であり、1年に1、2回はテレビに出演しています。
ちなみに、稲川素子さんの旦那さんは、脳梗塞で他界しました。
稲川素子の波乱万丈人生
稲川素子さんは、次のように、他の人が経験していないことを経験しています。
稲川素子さんは、福岡県柳川市の裕福な家に生まれましたが、戦後、東京に引っ越してから食糧難で苦しみます。高校生の時の体重は、37kgしかありませんでした。そして、教会の聖歌隊に参加した際、あまりの激やせぶりがマッカーサーの目に留まり、ベーコンエッグをご馳走してもらったのです。
稲川素子さんは、22歳の時に結婚しましたが、授かった子供が逆子だったのです。普通なら、麻酔をして帝王切開で出産となりますが、以前、盲腸の手術の際に麻酔のミスがあり、一時的に半身不随になった経験から、麻酔を拒否。麻酔なしで帝王切開を受け、娘を出産しています。
稲川素子さんは、盲腸手術の際の麻酔ミスで半身不随となったため、慶応義塾大学文学部を中退しました。しかし、65歳で慶応義塾大学文学部に再入学して卒業すると、3度目の挑戦で東京大学大学院に合格し、修士課程と博士課程を修了しています。
稲川素子さんは、2013年にステージ4の大腸がんが見つかり、その後、肝臓、肺へと転移しましたが、手術や放射線治療により、癌を克服しています。そして、遺伝を心配して検査を受けた娘・佳奈子さんの大腸でもがん細胞が発見されましたが、娘さんもがんを克服しました。
稲川素子さんがスカウトした外国人タレントの中で、最も売れたのがフィリピン人のルビー・モレノさんです。しかし、ブレイクしたルビー・モレノさんは調子に乗り、仕事に行かずに穴を空け続け、事務所は数百万円単位の違約金や謝罪に追われます。挙句の果てに、ルビー・モレノさんから訴えられたこともありました。それでも、変わらず可愛がっています。
上記のエピソード1つでも凄いのに、そのすべてを経験しているとは驚きです。
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