江本孟紀、ベンチに暴言で任意引退!通算成績は?しくじり先生
2017年4月30日放送の「しくじり先生 俺みたいになるな!! 」の先生は、元プロ野球選手の江本孟紀さんです。
江本孟紀さんは、東映フライヤーズと南海ホークス、阪神タイガースでエースピッチャーとして活躍し、通算成績113勝126敗19セーブ、防御率3.52という結果を残しています。
しかし、本来であれば、もっと長くプロ野球選手として活躍できるはずでした。
それにもかかわらず、体力がある状態でプロ野球人生を捨てなければならなくなったのは、江本孟紀さんの言動の悪さが影響しています。
監督に向かって、「向こう行け言うたやろ!」と怒鳴りながらタバコとライターを投げつけ、それが原因で試合に干されるようになり、最終的には暴言で引退に追い込まれたのです。
「しくじり先生」で、「ベンチがアホ」発言によって引退に至った経緯を告白しました。
江本孟紀ってどんな人?
江本孟紀さんのプロフィールは、次のとおりです。
【名前】 江本孟紀(えもとたけのり)
【生年月日】 1947年7月22日
【出身地】 高知県高知市
【血液型】 A型
【身長】 188cm
【体重】 77kg
【趣味】 バロック音楽鑑賞
【高校】 高知商業高等学校卒業
【最終学歴】 法政大学経営学部卒業
【事務所】 R&M
江本孟紀さんは、子供の頃から野球に励み、高校時代は高知商業のエースとして結果を残していましたが、他の部員の不祥事により、1965年の春の選抜と夏の高知大会は出場できませんでした。
甲子園出場は叶わなかったものの、その投球が認められ、西鉄ライオンズからドラフト4位で指名されましたが、これを拒否して法政大学経営学部へ進学します。
しかし、気性の荒い性格なため、法政大学時代から監督とよくケンカをしていました。
そして、大学卒業後に、熊谷組で社会人野球をし、1970年にドラフト外で東映フライヤーズに入団しますが、中継ぎだったため、1971年の成績は1勝もできず。
そんな状態でも、南海ホークスの監督であった野村克也さんはその才能を見抜き、江本孟紀さんをトレードで獲得すると、エース番号の16番を与えました。
1972年、江本孟紀さんは16勝し、野村克也さんの期待に応え、見事にエースピッチャーへと成長したのです。
その後、阪神へと移籍し、暴言で引退しました。
野球引退後は、野球評論家、タレント、政治家、俳優、実業家として、幅広く活躍しています。
江本孟紀「ベンチがアホ」事件の真相
1981年8月26日の阪神対ヤクルト戦で、江本孟紀さんは先発ピッチャーとして出場し、7回表まで3安打1失点の好投を続けていました。
しかし、8回表にヤクルト打線につかまり、それまで3点差あったのが1点差にまで追い上げられる状況に。
なおもピンチが続く中、普通なら8番打者を敬遠すべきなのに、ベンチを見ると中西監督がいません。
仕方なく、様子見で外角に外して投げたところ、バッターが強引に打ちに来て、バットに当たったボールが敬遠すると思って油断していたライト前に落ちて同点。
そして、その直後に江本孟紀さんは交代させられたのです。
怒りながらロッカーへ下がる途中で、「何を考えとるんや、アホか」と独り言を言ったのを記者に聞かれ、翌日の新聞に書かれました。
すると、球団から10日間の謹慎を命じられたため、それを断固拒否して任意引退したのです。
引退した翌年には、「プロ野球を10倍楽しく見る方法」という暴露本を出版してベストセラーになっています。
江本孟紀さんは、言動がかなり悪いですが、あらゆる分野で活躍できる才能を持っていることは確かでしょう。
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