大分県中津江村とカメルーン代表!2002 FIFAワールドカップのドタバタ劇
2022年11月21日放送のテレビ朝日系列『激レアさんを連れてきた。』のゲストは、2002 FIFAワールドカップ・日韓大会で本当は呼ぶつもりがなかったカメルーン代表をおもてなしするハメになった中津江村の人・ハセ(長谷俊介)さんです。
世界中の多くの人々で盛り上がるサッカーワールドカップですが、20年前の2002年に開催された日韓ワールドカップは地元開催ということで、多くの日本人で盛り上がりました。
そして、カメルーン代表のキャンプ地となったことで、それまで誰も知らなかった大分県の中津江村が一躍有名になり、「W杯(中津江村)」は『新語・流行語大賞』の年間大賞に選ばれています。
大分県中津江村がカメルーン代表のキャンプ地に立候補し、ドタバタ劇により全国的知名度を得た経緯に迫りました。
大分県中津江村とは?
中津江村は、大分県日田郡にあった小さな村です。
2005年3月22日に、同じ日田郡の前津江村、上津江村、大山町、天瀬町とともに日田市へ編入合併されて村ではなくなりましたが、2002年の日韓ワールドカップで得た知名度を活かすために、その後も「中津江村」という地名が使用されています。
大分県中津江村が日韓ワールドカップのキャンプ地に立候補した理由
大分県中津江村は、当時の人口約1360人の小さな村で、山々に囲まれ、鉄道やコンビニもない利便性の悪い立地にありました。
その中津江村が目を付けたのが、『2002 FIFAワールドカップ・日韓大会』です。
立候補すれば村の知名度が上がり、あわよくば、財政難の中、老朽化しつつある施設の改修ができると考え、当時の村長だった坂本休(さかもとやすむ)さんがワールドカップのキャンプ地に立候補しました。
全国84地区も立候補し、大分県だけでも中津江村を含めて4つの地域が立候補したため、諦め気味でしたが、まだ試合のスケジュールが確定していない2001年11月にカメルーン代表がキャンプ地に選び、最も早い公認キャンプ地になったのです。
カメルーン代表が遅刻したことで、大分県中津江村は全国的に有名になった
JAWOC(W杯日本組織委員会)とカメルーンのサッカー協会が2001年11月29日に正式調印し、2002年5月19日から10日間、カメルーン代表が中津江村でキャンプすることが決定しました。
中津江村の人々は、歓迎ムード一色で5月19日を待ちましたが、当日を過ぎても一向にカメルーン代表が訪れる気配がありません。
実は、フランスのシャルル・ド・ゴール空港でサッカー協会と選手たちがボーナス闘争を繰り広げて、日本への移動が遅れていたのです。
そのことを知らない中津江村の人々がそのまま歓迎ムードで待ち続けると、カメルーン代表選手の代わりにマスコミが殺到し、中津江村は一躍全国的知名度を得ることに。
そして、5日後の5月24日夜中3時にやっとカメルーン代表が到着し、130人の村民が出迎えました。
結果、4日間だけの滞在となりましたが、中津江村の人々はカメルーン代表と交流し、その関係は20年経った今も続いています。
関連記事
2018年8月8日放送の『ナカイの窓』は、『ホラー』です。人に恐怖を体験させる...
2020年6月20日放送のテレビ朝日系列『激レアさんを連れてきた。』のゲスト・...
2018年9月18日のTBS『マツコの知らない世界』のゲスト越前谷典生さんは、...
2019年10月15日のTBS『マツコの知らない世界』のゲスト・湯沢祐介さんと...
2017年10月8日放送の日本テレビ系列『世界の果てまでイッテQ!』は、『世界...