20年間暴走族のパシリをしていた大学講師・打越正行のプロフィール、本
2022年5月16日放送のテレビ朝日系列『激レアさんを連れてきた。』のゲストは、暴走族やヤンキーの調査をするために20年間に渡り暴走族のパシリを務めた打越正行(ウチコシマサユキ)さんです。
みなさん、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という諺を知っていると思います。「危険を冒さないと大きな成果を得られない」という意味の諺です。
しかし、実際に成果を得るために危険を冒すことは簡単ではなく、かなり勇気がいることは言うまでもありません。
打越正行さんは、学生だった当時、暴走族やヤンキーの調査のために暴走族に近づき、警戒されながらもパシリとして信頼され、彼ら・彼女らの生態調査に成功しました。
打越正行さんの素顔と暴走族のパシリになった経緯に迫ります。
打越正行ってどんな人?
打越正行さんのプロフィールは、次のとおりです。
【名前】 打越正行(うちこしまさゆき)
【生年月日】 1979年
【出身地】 広島県
【高校】 ※非公表
【最終学歴】 琉球大学教育学部数学科卒業、広島国際学院大学大学院現代社会学研究科修士課程修了、首都大学東京大学院人文科学研究科社会行動学専攻社会学教室博士後期課程入学・退学
【職業】 和光大学現代人間学部専任講師
打越正行さんは、大学生の時に沖縄県で暴走族と接触したことで暴走族に興味を持ち、大学院生の時に広島県の暴走族のパシリとして潜入取材を始めました。
その調査内容をまとめ、本を出版しています。
その後、沖縄県の暴走族のパシリも務めました。
そして、現在は、社会学者や『琉球大学』の非常勤講師などとして活躍中です。
打越正行が暴走族のパシリになった経緯
打越正行さんは、高校まで地元広島で育ち、琉球大学教育学部数学科に進学して数学の先生を目指していました。
そんな大学生活のある日、夜遅くに学校から家に帰ろうと原付バイクのところに行くと、少年たちが酒盛りをしながら一人に対して高校を辞めないように説得している場面に出くわします。
この時、一人の少年が打越正行さんのバイクに跨っていたので話し掛けざるを得ず、声を掛けると「兄さんも一緒に飲まない?」と誘われました。
今まで学校に行くことは当たり前と思っていた打越正行さんは、自分の無知さを思い知らされ、「彼らに話を聞きたい」と考えるようになると、大学卒業後に地元の広島国際学院大学大学院現代社会学研究科修士課程に進学して社会学を学び始めます。
そして、2002年に広島の暴走族の調査を始めたのです。
繁華街で少年たちに「暴走族に興味があるのでメンバーにしてください」とお願いするも、年齢が違い過ぎるとの理由で拒否されました。
しかし、自然とパシリとして暴走族の仲間入りを果たし、酷使されます。
鮭と昆布のおにぎりを買って行って、リーダーに「なんでツナでないのか!?」とみんなの前で怒られたこともあったとのこと。
こうして本を出版して一区切りつきましたが、大学生時代に出会った少年たちのことが忘れられず、2007年に沖縄に行って暴走族の調査を始めたのです。
国道58号線のコンビニに集まる暴走族やヤンキーにインタビューを試みますが、私服警官に疑われて相手にしてもらえません。
仕方なく、原付バイクで暴走族に追走したり、参与が勤務する建設会社で一緒に働き、距離を縮めようとしました。
すると、暴走族に覚えてもらうために毎回同じ派手な緑色のジャンパーを着ていたことで、逆に警察官に目を付けられるようになり、10回以上警察官に職務質問されたことで私服警官の疑いが晴れてパシリとして受け入れられるようになります。
警察署に連行されそうなところを暴走族に助けられたこともあったそうです。
結局、打越正行さんは20年間に渡り暴走族のパシリを務めた結果、沖縄の暴走族は暴力的な上下関係があり、それは米軍基地や家庭環境、低賃金などが理由になっていると結論付けています。
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