激レアさん!ヒモ状態からラテアート世界一・澤田洋史のプロフィール
2021年3月1日放送のテレビ朝日系列『激レアさんを連れてきた。』のゲストは、奥さんのヒモ状態からラテアート世界一になった澤田洋史(サワダヒロシ)さんです。
ラテアートとは、エスプレッソの上にミルクで描かれた絵のことを指します。
ラテアートが上手いバリスタや素人さんがたまにテレビで紹介されることがあるので、見たことがある人は多いのではないでしょうか?
今ではラテアートの世界チャンピオンになった日本人は何人かいるのですが、澤田洋史さんはまだ日本人の世界チャンピオンがいない頃に世界一に輝きました。
ヒモからラテアート世界一になった澤田洋史さんの素顔に迫ります。
澤田洋史ってどんな人?
澤田洋史さんのプロフィールは、次のとおりです。
【名前】 澤田洋史(さわだひろし)
【生年月日】 1969年
【出身地】 大阪府
【趣味】 スケートボード、スノーボード
【特技】 ラテアート
【高校】 ※非公表
【最終学歴】 近畿大学商経学部卒業
【職業】 ラテアーティスト、バリスタトレーナー&カフェコンサルタント、sawada coffee(米国シカゴ)オーナーバリスタ
澤田洋史さんは、ラテアートの大会『フリーポア ラテアート ワールドチャンピオンシップ 2008・シアトル』で優勝した世界チャンピオンです。
そして、日本におけるラテアートの先駆者でもあります。
2010年には『ストリーマー・コーヒー・カンパニー』というコーヒー店をオープンしましたが、その後に手放し、現在はラテアーティストやバリスタの指導者、カフェのコンサルタントとして活躍中です。
澤田洋史、奥さんのヒモ状態からラテアーティスト世界一への軌跡
美味しい物を食べることが好きだった澤田洋史さんは、「無料もしくは格安で商品を食べられる」との理由で、大学生の時に洋菓子屋や和菓子屋、うなぎ屋などでアルバイトしていました。
そんなある日、東京・青山の紀ノ国屋に立ち寄ると、美味しそうな輸入品がたくさん並んでおり、それらを見て、「ここに就職したら、全部食えるんちゃうかな」と思います。
そして、近畿大学商経学部卒業後に紀ノ国屋インターナショナルに就職して、乳製品やチーズのバイヤーになったのです。
すると、当時の世界最年少記録である25歳で「フランスチーズ鑑評騎士(シュヴァリエ デュ タスト フロマージュ)」の称号を得るという偉業を達成しました。
翌年、鳴り物入りで雪印乳業に転職して仕事内容にも満足していましたが、社会人歴10年になった時に、「このまま勤め続けても良いのか?」と疑問を抱きます。
「このままではつまらない」と思った澤田洋史さんは、語学留学を決意し、2001年にアメリカ・シアトルに渡りました。
学校帰りにスターバックスに立ち寄って語学の勉強をすることを日課にしていたのですが、その日は雨が降っていたこともあり、ダウンタウンにある『Caffe Ladro(カフェ・ラドロ)』に立ち寄ります。
この時、ラテを注文すると、店員さんがミルクで絵を描いてくれました。
器具を使わず、注ぐミルクの勢いの変化だけで描く「フリーポア」と呼ばれる技法のラテアートでしたが、すっかり魅了された澤田洋史さんは常連客になったのです。
さらに、通ううちに自分もラテアートをやりたくなり、バリスタやマネジャーと仲良くなって、見よう見まねでラテアートを習いました。
2002年に帰国して、食料品チェーン店『ディーン・アンド・デルーカ・ジャパン』に就職した澤田洋史さんですが、出張でアメリカに行った際に、参加人数20人ほどの大会『ラテアート ワールドチャンピオンシップ』の存在を知り、「優勝できるんちゃうか」と思います。
そんな軽い気持ちで参加した翌年の結果は惨敗です。
この敗北で闘志に炎が灯った澤田洋史さんは、会社を辞めてラテアートの練習漬けの日々を過ごし、生活は奥さんに支えてもらえました。
そこまで努力しても大会では結果を出せませんでしたが、2008年に開催された96人参加の『フリーポア ラテアート ワールドチャンピオンシップ 2008・シアトル』でアジア人初、大会歴代最高得点で世界チャンピオンに輝きます。
澤田洋史さんの努力だけではなく、奥さんの支えがあったから達成できた偉業であることは間違いありません。
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